「めくら」も「もう」も意味は同じ

目が見えない人を「盲」といい、訓読みだと「めくら」
音読みだと「もう」である。

「もう」は良いが「めくら」はダメとか、両方ダメなので
「視覚障碍者」にしようとか、馬鹿馬鹿しい。

「めくら」と発音した人に差別意識があると誰が断定したのか?

「視覚障碍者」を用いる人に差別意識がないことを確かめたのか?

同じような言葉狩りを続ける人に言いたい。

○○は差別用語と主張している人は、

  「私には〇〇を差別する心があります」

という自白をしているに等しい。

差別は差別用語だと主張する人の心の中にあるのであって、
その言葉を使った人の心の中にはない。

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この記事へのコメント

2021年04月16日 14:26
差別は使う側の意識ではない。使われた側の問題。
ブログ主
2021年04月16日 16:33
その考え方は危険なんですよ。被害者コスプレの暴走を阻止できなくなります。

「はだいろ」はダメ、「美白」はダメ、「嫁」はダメ。
「その言葉は私にとって不快だから使うな!」という暴走です。
使う側の意識なんか関係ない。使われた私が不快なのだから使うな!

私のことを「お客様」と呼ぶな!その言葉は私をバカにしている。あなたにそんな意識がなくても私がそう感じたのは事実だ。
どんな言葉に対するクレームも正当化できるのです。

そんな言葉狩りが窮屈な世の中を作るのです。
2021年04月16日 17:22
正しい日本語の用法であるかどうかの視点が欠けていませんか?
めくらは差別用語、ばかちょんも。嫁は息子に嫁いできた義理の娘に使う。お客様は、時と場合による。ザックリと一般論化してはおかしい。
だから、私はわすれないように、一般人と自称してる。